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B-Musica

チルドレンクーデター始まりと終わり

その1

その前は、エキストラプラスチックオブジェというロックマガジン系のユニットに参加していた。そもそもバンドなどやるつもりは全くなく、もっぱら別の関りを維持していた。
 しかしあるとき多少楽器ができるというのでオールナイトのイベントに出ることになった。山盛りの客、ゲルニカとの共演、ゲスト待遇という気持ちの良い要素が目白押しで、若者であった私はすっかりその気になってしまい、それ以降音楽活動にのめり込んだ。
 しかしすぐに飽きてきた。当時私はリップリグアンドパニックみたいなポップなものよりホワイトハウスやレモンキトンズ、メタボリストのような暴力的で狂気じみたものやミニマル、現代音楽などのインテリ系、それにフリージャズといったあたりの音楽に夢中だったのでどうしてもそれらを混ぜあわせたような音楽がやりたかった。
 で、今で言う鰐好悟郎とのDuoでミニマル音楽のライブをやったのがきっかけでチルドレンクーデターを始める事となった。このバンド名は鰐好悟郎の命名でバンマスも始めは彼だった。ジャズドラムの浅井を加えたトリオでやろうという話をしていたがエキストラプラスチックオブジェから、ケイトブッシュのイメージを持つ変態ピアニストのまーぶぅ、縮れたトムコーラ風バイオリンのK子、ファンクドラムの前淵を引き抜き、ホソイベース、悟郎サックス、浅井パーカッションの6人連れバンドとなってしまった。 京都のDee-Beesって店でのライブを最初にやったのが1983年の正月。

その頃「夜想」「イオス」のペヨトル工房が、カセットと小冊子がいっしょになったカセットブックなるものを企画して話題となった。
 坂本龍一の「AVEC PIANO」、ファンクでテクノなEP-4に次いで、オーストラリアのオルタネイティブバンドと謎の楽団チルドレンクーデターが、その後博多のロックバンドのオムニバスが発売された。
 「Avec Piano」は大売れに売れてメジャーからCDで再発となり、「めんたいロック」も結構受けて、その中から現在御活躍の人も出ているので御存じの方も多いと思う。
 さて、これは売る側の計画で我々も同意したことだが、チルドレンクーデターは「謎の少年楽団」ということにされてしまい一部で話題になったものの結局謎がとけないまま消えてしまった。
「へえ。なんていうバンドやってるの?」
「チルドレンクーデターっていいます」
「あ。名前だけきいた事があるなあ」
というのが当時よくかわされた会話だった。

つづく

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